明専寺の歴史

明專寺は、1240(仁治元)年に姫路市書写山圓教寺の僧、明專が揖西郡町屋村(現在の、たつの市新宮町栗町〈字町屋〉)に一宇を建立したところから始まります。


初代から十代は、天台宗の配下道場として代々相続されました。


1477(文明9)年に、10代教念坊が、大阪堺において本願寺第8代蓮如上人のみ教えを聞き、たちどころに浄土真宗に改宗し、上人より本尊及び六字名号の真筆をいただき帰山し、当山、浄土真宗の開基となります。

その後、第7代教山のとき、1694(元禄7)年甲戌9月10日、本願寺第14代寂如宗主から木佛本尊並びに五尊の像を下附され、この年時を木佛本尊の年時となります。

この木佛本尊は、「康尭」によって造立されています。仏師康尭造立の阿弥陀様は大阪府門真の信行寺の本尊阿弥陀如来立像(像高55.2㎝)が知られています。(「門真市史」別巻社寺美術編2003)

また寺号は、当地天台道場の開基明專の名を戴いて「明專寺」となりました。


くわしくは、当山に伝わる明治30酉年10月の寺院明細帳取調台帳から記します。
一.元禄7歳甲戌(1694)年9月10日龍野圓光寺内弟播磨国揖西郡町屋村明專寺と称す 願主釋教山
一.創立 元禄9丙子(1696)年9月16日
開基畧傳
當寺開基は、当国書写山圓教寺弟子明專と称す。

仁治庚子(1240)6月5日、歳は28才にして当地に住す。これより10代の間、初代明專、修善、俊浄、俊海、智雲、智海、善證、信浄、円海を経て10代教念の世に至る。釋教念房と称す教念に至るまでを10代として、天台宗書写山圓教寺の配下道場にして相続絶えず。其の後、文明9丁酉(1477)年9月20日教念房泉別堺に至るに北之庄堅木屋藤右衛門方にて知識の法の説教を聞き話家に詣でて賜る處、本願寺第8代蓮如上人なり。教味時機相応要法弘願他力之易法肝譽に徹したちどころに改宗して弟子となり、改名釋浄覚と賜り蓮師又真向きの本尊及び六字名号の真筆を授与してなり受けて當寺に帰す。此処に一宇を以てす。嘗て賜るところの本尊尊号を安置して専ら真宗の法義を益々領得す。嘗て藤右衛門方にて授かり處の両品を賜り當寺に今尚存す。これを當山真宗開基とす。この後、7代教山の代に至る元禄7甲戌9月10日木佛本尊並びに五尊の像を宗主寂如上人より教山へ下し賜り。是を以て木佛尊像の年時とす。

依って寺号を当地天台道場の開基明專の名を以て寺号に明專寺とする。

  • 明専寺本堂